2023/05/20

レターパックは便利か、という話

ある程度の量のゲラとか教科書とかを送付するのによく利用されるのがレターパックだと思います。お手軽だし料金も安いし。郵便受けにポストされるので、受け取り側は頃合いを見計らってピックアップすればよいし…と言いたいところなのですが。
これは私が住んでいる地域の郵便局だけなのでしょうか。郵便受けに入らないから、ということで、配達員さんが玄関までレターパックを持ってきてくださる。別に郵便受けに差しといてもらえたらいいですよ…と思わないでもないけど、万が一不心得な人にパチっていかれたらマズい、というご配慮かなあとも思うので、そして、実際そうなったら確かにマズいので、ともかくありがたくお受け取りするわけです。
で、そうなると、レターパックは結局、いつ届くかわからない荷物になってしまうので、そもそもの利便性が失われてしまうような気がしてならない。実際、所用で出かけているときに届配達にいらっしゃっていて、不在票が入っていることもままあるし。そうなると、また持ってきてもらうことになるから申し訳ないし。

荷物の発送にどういう手段を使うかは、こちらがなんとかできることではないのでいたしかたないのだけど、上記のようなことがあるので、「レターパックで発送しました」とお知らせいただくと、若干モヤっとしてしまう。追跡番号を教えてくださる版元様も多いので、ヤマトみたいに事前に日時指定ができるようになればいいのになあ。日本郵政様なんとかならないでしょうか。

2023/05/09

「御格子あげる」のは重労働かもしれない

『枕草子』第280段「雪のいと高う降りたるを」。雪の降った日のこと、中宮定子から「香炉峰の雪いかならん」と問われた清少納言が白居易の漢詩に基づいて御簾をあげてみせて、定子はじめ周りの人々にたいそうほめられた、という有名なエピソードですが、この中に、もともと下ろしてあった御格子を上げさせる、という描写があります。「御格子」は「蔀」ともいい、格子に板を張った戸のこと。上辺で吊り下げてあって、開くときには上の方にぱかんと上げるそうです。
古典作品を読んでいるとちょいちょい出てくる御格子(蔀)ですが、これの実物を見ると、けっこう大きいし重量感がある。初めて見たのは京都御所でのことで、「これが!あの!蔀!」と勝手にテンションが上がったのだけど、そのうえで、「雪のいと高う降りたるを」を読み直してみると、何気なく「御格子あげさせて」って書いてあるけど、そんなスッと上がるものなのかしら、ということが気になってきました。で、先日六波羅蜜寺に行ったときに、本堂にちょうど蔀があって、かつ上げてあったので、近くにいらっしゃった僧侶の方に蔀は毎日開け閉めするのか、重いものなのか、などとお訊きしてみたのです。
で、教えていただいたことには、六波羅蜜寺では、毎日蔀を開け閉めしているわけではない。ただ、開けるときにはだいたい3人がかりで上げる、とのお話。棒を使って持ち上げるのだけど、バランスよく持ち上げないといけないのでけっこう難しいということもおっしゃっていたはず(ちょっとうろ覚え💦)。
ということで、清少納言の「御格子あげさせて」の裏には、上げるお役目をした人の骨折りも隠れている…かもしれない。いや、当時の人たちはお役目として黙々と務めていたかもしれませんが。

そういえば、『宇治拾遺物語』95話の「検非違使忠明のこと」では、忠明が蔀を両脇に抱えて翼のようにして谷底へ飛び降りる、なんてのもありました。蔀の重量感を目の当たりにし、実際に取り扱っている方のお話を聞いた状態で忠明の行動を考えると、この説話の荒唐無稽さというか、一大スペクタクル感が増してくるように思います。

※『枕草子』『宇治拾遺物語』の内容については、ともに、「日本古典文学全集」(小学館)を参考にしました。

2023/03/26

ジェネレーションギャップが心配

教材の作成に携わっていると、何かとちょっとした例文を作る機会が多い。たとえば、漢字の書き取り問題のために、とか、言葉の用例を示すために、とか。
で、小学生だったり中学生だったり、なるべく対象に合わせた内容にしようと思うのだけど、ふと「これっていまどきの小学生に合うのだろうか…」と悩むことがしばしばあります。なんといっても、こちらが小学生だったのは、もうだいぶ…だいぶ前の話で、そのときとは社会も文化も当然ながら大きく変わっている。自分の世代の感覚では普通だったことが、現在も普通である可能性はかなり低いと思ったほうがいいのだろうな、と思います。未だに「お母さんが家事をして、お父さんが仕事」みたいな用例がぽんぽん出てくるのもどうなんだ?と思うし。まあ、こういうのは他山の石としなければならないところですが、なんにしても、日々アップデートが必要だなあと思います。

2023/02/12

「自分語りしていいですか」

少し前に、ある所で20代前半?くらいのお嬢さん(初対面)と話をする機会があったのですが、話の最中に彼女が発したのが、タイトルの言葉です。
「自分」を「語る」という大仰な雰囲気の前置きに、ちょっと身構えてしまったのだけど、
彼女の口から出てきたのはわりとなんでもない彼女側の事情だった。
ただ、そういう場合にこういう前置きがつく、という事態に初めて遭遇したので、こちらとしては当惑したのと、そもそも「自分語り」という言葉自体、初めてお目に…というかお耳にかかったので、これはいったいどういう言葉なんだろう、と妙に引っかかってしまったのです。

思うにわざわざ「自分語りしていいですか」と断りの文句を入れてから、自分側の事情を話す、というのは、自分のことを話す行為自体に何がしかの遠慮を感じているからだ、と考えることができると思われる。じゃあその遠慮はどういう心情からやってくるのだろう。
 推測1:相手(この場合は私)が話をしているのに、自分の話をして申し訳ない。
 推測2:相手にかまわず自分のことばかりべらべらしゃべるという行為に引け目がある。

推測1の場合、だからといって、彼女が私の話をそう熱心に聞いていたかというと、正直そういう感じでもなかった(という印象を受けた)ので、なんか違う気がする。
推測2の場合、別にそんな「自分語り」とか言い出す前から、ご自分のことをしゃべってたので、中途半端なタイミングで改まって前置きする意図がちょっとよくわからないし、なんならその前に私がしゃべってたことも「こいつ自分語りばっかりしよって…」と思われてたのか?と思うとちょっとモヤっと…(被害妄想)。


結局「ちょっとよくわからない」という結論しか出てこないので、よくわからないままなんですが。
これは世代的なものの言い方(と意識)なのか、私がしゃべった彼女の個人的な用語用法なのか。謎です。いろいろと。
まあ彼女と再び会うことは恐らく二度となかろうと思われるので、別に忘れてもいいようなことなのだけど、ただただ不思議な言葉だったなあと思います。

2023/01/09

新年から焦った話

明けましておめでとうございます。
2023年もよろしくお願い申し上げます。

さて、「古典作品登場人物名鑑」も今年最初の更新をしたのですが、『枕草子』の記事を反映させるために、phpファイルに手を加えないといけないところが出てきた。
で、久々にxamppを起動させて、ファイルを修正してlocalhostで開いて確認…しようとしたら、なぜか、開発環境ではない、web上に公開しているサイトに飛ばされてしまう…。
いろいろ調べて試したのだけど、どうにもうまくいかず、しかたがないので、xamppのhtdocs内に新規のお試し用フォルダを作り、「古典名鑑」用のファイルを一つずつコピーして、ちゃんとlocalhostで開くか試してみた。

結論としては、どうやら.htaccessファイルで設定している何がしかのせいらしい…。お試し用フォルダに.htaccessを加えると、公開サイトに飛ばされたので…。
謎なのが、一度でも.htaccessを加えると、その後.htaccessを除いても、問題の事象が発生してしまうということで、なんでなのでしょう。だから、.htaccessに書いてる原因と思しきコードをコメントアウトしても、効果がないみたいなのです。このへん、専門の方ならきっとスッとおわかりになるんだと思うのだけど、ちょっとかじった程度の人間には皆目見当がつきません。

ともかく、なんとなくとはいえ原因はわかったので、しかるべき処置を施し、無事に開発環境で開いて諸々確認をして、公開、となったのでした。

そんなわけで、新年早々だいぶ焦ったのですが、無事に更新していけそうです。ぼちぼちと進めていきます。

AI生成文との遭遇

あるお仕事の一環で、AI生成文を大量に読み、内容を確認する、という作業をしばらくやっておりました。 一見なんてことない文章の顔をしてますが、コレはいったいどこから出てきた事柄なんだ…とか、なんか論理が飛躍してない?とか、表記や文末が不統一だったりとか(こっちは生成時の指示の問題な...