2023/05/09

「御格子あげる」のは重労働かもしれない

『枕草子』第280段「雪のいと高う降りたるを」。雪の降った日のこと、中宮定子から「香炉峰の雪いかならん」と問われた清少納言が白居易の漢詩に基づいて御簾をあげてみせて、定子はじめ周りの人々にたいそうほめられた、という有名なエピソードですが、この中に、もともと下ろしてあった御格子を上げさせる、という描写があります。「御格子」は「蔀」ともいい、格子に板を張った戸のこと。上辺で吊り下げてあって、開くときには上の方にぱかんと上げるそうです。
古典作品を読んでいるとちょいちょい出てくる御格子(蔀)ですが、これの実物を見ると、けっこう大きいし重量感がある。初めて見たのは京都御所でのことで、「これが!あの!蔀!」と勝手にテンションが上がったのだけど、そのうえで、「雪のいと高う降りたるを」を読み直してみると、何気なく「御格子あげさせて」って書いてあるけど、そんなスッと上がるものなのかしら、ということが気になってきました。で、先日六波羅蜜寺に行ったときに、本堂にちょうど蔀があって、かつ上げてあったので、近くにいらっしゃった僧侶の方に蔀は毎日開け閉めするのか、重いものなのか、などとお訊きしてみたのです。
で、教えていただいたことには、六波羅蜜寺では、毎日蔀を開け閉めしているわけではない。ただ、開けるときにはだいたい3人がかりで上げる、とのお話。棒を使って持ち上げるのだけど、バランスよく持ち上げないといけないのでけっこう難しいということもおっしゃっていたはず(ちょっとうろ覚え💦)。
ということで、清少納言の「御格子あげさせて」の裏には、上げるお役目をした人の骨折りも隠れている…かもしれない。いや、当時の人たちはお役目として黙々と務めていたかもしれませんが。

そういえば、『宇治拾遺物語』95話の「検非違使忠明のこと」では、忠明が蔀を両脇に抱えて翼のようにして谷底へ飛び降りる、なんてのもありました。蔀の重量感を目の当たりにし、実際に取り扱っている方のお話を聞いた状態で忠明の行動を考えると、この説話の荒唐無稽さというか、一大スペクタクル感が増してくるように思います。

※『枕草子』『宇治拾遺物語』の内容については、ともに、「日本古典文学全集」(小学館)を参考にしました。